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山村留学のいろは

 

*みんなの声

 

山村留学を体験された保護者の方や参加した子どもたち、学校の

先生方、農家の方の声を載せています。これから山村留学をお考

えの方も、そうでない方も、ご参考になさってください。

(大岡ひじり学園10周年記念誌より抜粋)

参加者の声

保護者の声

里親農家の声

先生方の声

 

**参加者の声**

たからもの

 小学五年生のときに1年間大岡ひじり学園に山村留学をして、たくさんの経験から得たものは数え切れないほどある。その中でも一番貴重な体験は、山村留学という場で様々な人に出会えたことだと思う。公立の小、中、高等学校を卒業し、今は大阪で普通の大学生をやっている私。おそらく、同じように過ごしてきた多くのハタチの女の子たちでは到底出会うことのないだろう人たちと、知り合い、仲間になれた。高卒でバリバリ働いている子、年上なのになぜか学年が一緒の子、もう子供がいる子‥。共通点はまるでなく、一緒にいるところをはたから見るとなんの集団かよくわからないと思う。よく、知り合いに山村留学の話をするとき、「~ねぇ(姉)、

~にぃ(兄)」と呼ぶと、「お兄ちゃん何人いるの?さくらって、お姉ち

ゃんもいたんだ!」と言われ、「う~ん、いや、兄妹だけど、ちょっと

違うというか‥」と説明に困る。山村留学の仕組みや生活から説明

しなければならない。けれど、話し終わると必ず、「いい家族もった

ね~!一生もんだね!」と言ってくれる。そんな時私は本当に嬉し

くなって、得意げにいろんな話をしてしまう。1年間を一緒に過ごし、

今はもうあまり頻繁に会うこともないけれど、会うと小学5年生の自

分に戻れる、大切な家族。彼らと出会えて、家族になれて、本当に

よかった。山村留学がくれた、大切な宝物。一生大事にしようと思う。 

 

今の自分

今私が一番がんばっているものは部活です。

  山村留学をする前の自分は人とのかかわりを持つことが苦手だったし、ひとつのことにがんばって打ち込んだ記憶もありません。そんな私が大岡にきて得たものや学んだものはすごく大きなものでした。みんなでやった行事や大岡での生活すべてが思い出となって今でも頭に浮かびます。その思い出はうれしかったことやつらかったこと、悔しかったことなどいっぱいあります。でもそのことは自分が一生懸命やったことだから、頭から離れずに残っているんだと思います。また、センターのみんなや農家の方々、学校のみんなは自分のことを受け入れてくれたし、どんなときも支えになってくれました。やっぱり大岡で教わったことで一番大切だと思ったことは、なんでも一生懸命やること、仲間を大切にして感謝の気持ちを忘れないことです。

 私は高校に入学して部活に入ろうか迷っていたとき、部活を必死にやっている先輩を見て大岡にいたときの自分を少し思い出しました。自分にもがんばれる何かがほしかった。だから入部を決心することができました。正直、部活では怒られることもいっぱいあるし、練習もつらくて大変です。たまにやめたくなるときもあります。でもそういうとき私は、大岡にいたころの自分を思い出してしまいます。その自分に負けないようにがんばれます。心から心配したり、笑い合える友だちもできました。今はみんなとひとつの目標に向かって毎日がんばれることが、ほんとに幸せです。

 また、私の宝物は、太鼓のバチです。山村留学をしていたこ

ろ太鼓が大好きで、必死にとりくんでいました。なので自分で

作ったバチは、私が3年間山村留学をしていた証でもあるし、

たまに握ってみるとすごく安心できます。

 これからもつらいこととか迷ったりすることも出てくると思い

ますが、大岡での経験を生かして、自分らしく乗り越えていき

たいと思っています。私は大岡が大好きです。本当に感謝し

ています。

 

私の山留

 私が山留することになったのは小五の時だった。当初私は

行くのに猛反対していて、生活が始まってもすぐに辞めてや

ると固く決意していた。しかし、それは最初の一週間でもろく

も崩れ去った。豆腐のようにやわらかい決意である。最初の

一週間に何があったかというと、そう、デイキャンプである。この活動は自分一人の力で飯盒を使って米を炊くという、今思うと簡単な活動であった。しかし、当時の自分にとってはとても興奮させる活動であり、この日を境に山留を辞めたくなくなった。結局三年間お世話になったわけだが、そのきっかけはこのデイキャンプという活動が原点にあると思う。

 また、三年の間で自分の心境も変化していった。一年目はもうとにかく何もかもが楽しくて、他の人の事を考えたりはしなかった。というか私はもともと自己中心的な性格だったように思う。しかし、二年目、三年目になるにつれ段々と他人の事を考えられるようになっていった。最終的にはかなり変わることができたと思う。それはもちろん自分一人の力でそうなったわけではない。指導員の方々の厳しくも優しい指導(矛盾しているが)、農家のお父さんお母さんを始めとする地元の方々の温かい支援、そして共に生活した仲間たちがいたからこそ、今の自分があるといえるだろう。また、自分を山留に行かせてくれた家族にもとても感謝している。

 最後になるが、山留は終わってからが始まりだと思う。自分もだが多くの修園生がもっとこうすればよかったと後悔している部分がたくさんあると思う。その経験を地元で活かして生活していくのが真の山留生といえるのではないだろうか。だから十期生の人やこれから山留する人にこの言葉を送る。

「山留生よ、大志を抱け」期待している。

 そして本当に最後に・・・。

 山留よ、永遠なれ!!

 

大切な事

 私にとっての山村留学とは、自分が生きた足跡がしっかり残せた時間だと思う。10年前のことでも鮮明に記憶に残っているのは、私の人生の中でも刺激的な体験ばかりだったという事実と、その体験が今の私を作り上げてきたと感じられるからだと思う。

 私は山村留学をしていた時は、心がとても弱く、常に周りの人の態度や言葉を気にしては傷付いていた。こんなに頑張っているのにどうして?といつも自分しか見れずに、生活を楽しむ余裕などなく、不安ばかりが大きく膨れ上がっていた。その中で和太鼓を始め、音が一つになり、上達していく喜びからチームワークの大切さを学び、太鼓で奏でる音の強さと共に、自身の弱さを強さに変えていけた気がする。言葉ではなく音によって語り合った時間は、一人ひとりがよく見えた瞬間でもあり、私自身も仲間から評価してもらい、弱い部分も受け入れる勇気を与えてもらえた。この勇気は今でも私を作り続けていて、弱い部分を強さの糧にしながら、これからも夢に向かって頑張っていける気がするのである。心を常に強く持ち、自分を信じることで毎日が大切だと思えてくる。目に見て分かるくらいの変わった部分は無いかもしれないが、私が一番大切だと思うことは、山村留学での体験をしっかり振り返り、その後の歩む道につなげることだと思う。そう考えられたのも、大岡での生活を新たなスタートラインにし、自分を信じ、大切にできる人こそが、周りの友達、家族を大切にできるということを山村留学中に学び、自分を高められる高校に行き、夢であった保育士が現実になろうとしているからかもしれない。今の私は、環境で自分自身が変われることを実感し、人と関わり、コミュニケーションをはかることがどれだけ大切で必要かと思うことができた。深く濃い

10年間になった。そして今の私があると感じている。

 山村留学中、温かな生活環境を築いてくださいました指導員の皆

様、農家のお父さんお母さん、一期・二期の仲間には言い尽くせな

い感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。そして

、これからも山村留学をしに来る子ども達を温かく迎え入れて頂き

ますようにお願い申し上げます。

 

**保護者の声**

進行形の留学をふり返って

 現在留学三年目、中学三年の祐希にインタビューしました。

 留学して良かったことは何ですか?

・農作業、身のまわりのこと、山でしかできないことなど、いろいろできるようになったこと。

・みんな違うところからきているけれど、仲良くできること。

・学校は少人数で、担任の先生が二人いて、わかりやすく教えてくれること。

・学校の友達はみんな優しい。けんかもないし、いつも仲良くできること。

一生の友達もできたそうです。(誰なのかは内緒とのこと)最後に自分の子どもができたらやはり

留学させたいそうです。

先日、祐希は「どうして留学したの」と聞かれ、少し考えてから「強制」と答えていま

した。祐希が生後半年の頃に私が「育てる会」の会員となり、中学入学時が最後のチャンスと考え、私の強い勧めで留学をスタートさせたからです。しかし、一年目の夏には継続を希望し、三年目の今、留学して良かったと言えることに内心ほっとしています。

 この三年間、本当に大きく成長しました。身のまわりのこともずいぶんできるようになり、靴下などは洗濯板を使って洗うようになりました。家に帰ってくると、「むこうでやっているから楽をさせて」となりすまし、「それもそうかなぁ」と認めてしまう私の甘さもいけないのかもしれませんが、「必要にせまられればできるはず」と期待しています。

 農家の父さん、母さんの大きさは、生活すること、家庭、人とのつながり等々、たくさんのことを考えさせてくれるようです。また、どんなに仲が良くても、集団生活というのは息がつまることもあるらしく、父さん、母さんのもとでは息をぬき、家の子として生活をしています。

 さて、育てる会の短期活動に参加し、一回で音を上げた妹の幸穂は兄の様子、農家の父さん、母さん、センター、地域をよく見ていたようです。何か考えるところがあったらしく、自分で留学を決めました。「あと一年待って」という母の願いを断ち切り、「行くことにしたから」という一点張りで今年、六年生で留学一年目です。幸穂にインタビューしたらまた違った良さが表れることと思います。一人一人にそれぞれの留学でしょうが、親にとっては、子どもとの関係を見直す良い機会となっています。

 今年、受験準備のために、祐希は時々家に帰ってきます。用事を

すませ、長野に帰る時、何度も何度も家を振り返り手を振ります。あ

と一歩で見えなくなるというところでも、振り返って手を振ります。そ

の姿は自分で自分の道を歩き始めたように見えます。きっと大岡を

離れる時も、何度も何度も振り返っているのではないでしょうか。

 二人にとって、大岡で過ごした日々は大きな心の支えとなり、い

つか帰ることができる故郷になることと確信しています。

 最後になりましたが、留学に関わる皆様に心から感謝します。そ

して大岡の地で山村留学が末永く続くよう、微力ながら応援したい

と思います。

 

二人の子どもがお世話になって

理事長先生のラジオでの対談から「育てる会」を知り、短期合宿を経験した娘が「山村留学してみようかな。」と言い出したのが、二人の子どもたちがお世話になる始まりでした。子どもたちに自然の中での生活を体験させたい、という私たち夫婦の素朴な思いがきっかけでした。たしかに大岡の自然体験は、子どもたちだけでなく、私たち親にとっても貴重な経験となりましたが、それだけでなく人と人との関係のむずかしさやありがたみをしみじみ味合うことができた2年間でした。あれからすでに10年を迎えようとしています。お陰様で2人はそれぞれに一歩ずつ歩みを進めています。その歩みの過程では、いろいろと考えさせられ、悩むこともありました。進学や進路の事、友だち関係での悩み事や家族のあり方。人々が生活をしていく中では様々な出来事があり、折にふれ共に悩みました。

だいぶ前のことになりますが、山留帰り早々の恒沙子が「ねえお父さん、腹割りをしよう、」と言い出しました。そのきっかけは姉弟の些細な言い合いが原因でした。最初私たち夫婦には「腹割り」とは何の事やら分かりませんでしたが、恒沙子は山留での経験をもとに、その意味を解説してくれました。大岡では人間関係で何か問題があったとき、「青ちゃんが『腹割りだ』って言うと、皆で腹の中を全部出すんだよ、気持ちを言葉にして出すんだよ。そしてお互いに気持ちを分かり合うんだ。」と、このように腹割りの意味と目的を説明してくれました。私も「よし青ちゃんに習って、腹割しよう。」と家族で話し合いをすることになりました。問題の出発は子ども同士の軋轢です。しかし気持ちをほぐして腹を割ると、「え、子どもたちはそんなふうに感じていたのか、」「あ、父親としての配慮が足りなかったなあ」と、私の態度や感性の鈍さ、子どもに対する見方考え方も大いに関係している事に気づかされました。「う~ん、悪かった、オレも気づかせてもらった反省する!」、といったそんな事もありました。そのとき私が心の中で叫んだのは、「お~い青ちゃん、腹割って自己告白であり、自己批判じゃないですか。痛いなあ。」って言葉でした。しかしそんなことがあって、この「腹割り」は本当に大事だなっ、とつくづく思う今日この頃です。

高度情報化社会にあっていろんな情報は収集できても、一番情報が見えない、いや見たくないのが自分の心の中のように思います。子どもを通してですが、自分の腹の中を見ると子どもの教育問題って、結構自分自身の歩みが問われているんだなって思います。教育を大上段に構えるといろんな意見はあると思うのですが、「腹割り」を通して教えられたことは、子どもの問題を通して、親である自分の問題に向き合えるって改めて気づかされました。結構、親をやっているつもりでも、親をさせてもらっている中に私が育てられているのでしょう。翻ってみると無我夢中の中での山村留学の父親でしたが、深く暖かく見守ってくださった信濃の人々に感謝するしだいです。4年生の恒沙子につづき、3年生の世自在と2年間お世話になった町井さんのご家族には本当にお世話になったなあっと腹の底から思っています。今でも町井さんは私たち家族にとって、「大岡のお父さん、お母さん」です。それから「腹割り」を教えてくれた青ちゃんはじめ「育てる会」の皆さんに深く感謝申し上げます。重ねて腹の底から感謝。

 

**里親農家の声**

子どもが親元を離れて得るもの

 人生の長い旅路は平凡ではない、むしろ苦境に立たされ、悩み抜く

事の方が多いと思います。

そのために、様々な勉強や、経験を積み重ねる必要が不可欠です。

 子供たちは今、義務教育の域にいます。学校の勉強は勿論のこと、

社会に出て、人間形成を司る上で、最低限の常識取得も学ばなくて

はなりません。

 私が学校卒業と同時に職人の道を選びました、当時親から、「一人

前の職人になるなら、他人の飯を食ってこい」と言われました。そうい

う諺もあったのです。短い人で三年、長い人で五年間の年期を経て、

職人として世に出ます。

 この間親方の家族と寝食を共にし、技術面は親方から、一般常識はおかみさんから指導されます。

 「可愛い子には旅をさせろ」という諺もあります、山村留学生はまさに十歳を過ぎた時点から親元を離れて、「旅をさせろ」だろうと思います。

都会では出来ない山村での体験は、子供たちにとって珍しい貴重な体験となり、様々な人間との関わりを持ち、これからの人生の中で、厚い一頁になると思います。  

 私は、山留生をお預かりして、ふと考えるときがあります。それは、我が子が、この子達の様に、一年ないし二年間、親元から離れて生活を望んだとき、はたして手放す勇気と、理解が出来ただろうかと・・・

親の元での生活は、甘えもあります、見過ごしてしまうこともしばしば、そうしてみたときに、挨拶をはじめとした生活習慣、団体生活を通じて、思いやりの心等々身に付いていくと思います。

 里親を引き受けて四年目になります。毎年同じ事の繰り返しでいいはずですが、それは間違いである事に気が付いたところです。

学年も、性格も違う子供達が来る中で、神経を細やかにしていく必要があります。

一年一年世の中も時代も変わっていきます、その中で時代にマッチした方策をしないと、見放されることになります、一層努力、研鑽していく必要があります。

 孫五人に囲まれる身から、子供が三人増えて、それなりに体力の維持にも配慮しながら、出来る限り協力していきたいと考えております。

山留生の農家入りを、いつも首を長くして待っています。

私たち夫婦にとって、楽しみの一つに、修園していった子供たちに会う事です、

いつでも、幾日でも遊びに来て欲しいと願っています。

 

学園生を受け入れて

 留学生は、入園してまもなく受け入れ農家との対面式をしてそれぞれの受け入れ農家に入ります。1年間の農家での生活は約120日、後は山村留学大岡ひじり学園で集団生活をしています。

 1年を過ぎて2年、3年、4年と山村留学生として大岡に留学している子供達は99%毎年違う農家に入り、又新しいお父さん、お母さんと生活し農家での色々な体験をしますが、我が家の娘たちは新しい農家に行ってからも時々「お父さん」といって顔を見せてくれたり、夏休みや冬休みで帰省する時など「お父さん夏休みで家に行ってきます。何日には帰ってきます。お父さん暑いから気をつけてやってね。」と声をかけてくれます。本当に嬉しく、有難いと思います。

我が家にいた娘達は、それぞれ個性は違うけれども良い子供達ばかりです。私の実の娘でもなかなかできないことです。小学校の高学年、中学生になった時など私の膝に入ったことなど一度もないのに、山留の娘達は何人か「お父さん」と言って私の膝に入っては、色々な話をしてくれます。

そんな娘達が10周年記念に8人が来て会うことができました。残念ながら4人の娘達は欠席となってしまいました。8人の娘たちといっぱい写真を撮りました。今年もまた収穫祭には何人かの娘達と会うことができることを楽しみにしている私です。

山村留学生の大岡ひじり学園での集団生活は、留学生はもちろん指導員の皆さんと寝食を共にして生涯忘れることのできない生活を長い人は4年、5年、短い人で1年留学生にとっては第二の故郷になることでしょう。

私も山村留学生の受け入れ農家として、里親として5期5年間受け入れをしてきて本当に良かったと思います。娘達に色々と学ばせていただき思い出を沢山いただきました。

娘達よ、君達の田舎は大岡だね。田舎のお父さんの所へいつでも遊びにおいで。お父さん、お得意の料理を作ってやるよ。

 娘達はこれから高校、大学、社会人となって世の中へ出て行くわけだが、君達の故郷、大岡で学んだ体験と、鍛えた心と体で大きな大きな大人になることを期待しています。

 5年間里親農家として山村留学生を受け入れて思い出になったこと、今娘達とのお付き合いで感じていることそのまま書いてみました。

 

**学校の先生より**

ダンコウバイの花

 ダンコウバイの黄色い花を見ると、今でも山村留学生の皆さんの懐かしい顔が浮かんで来ます。

 四月、まだ残雪の中で咲き始めたダンコウバイの枝を持って不安げな表情で入場してきた皆さんが、三月に再び枝を手にして卒園する時の表情の違いに驚嘆したことを思い出します。大岡の豊かな自然の中で、大岡の人々とふれあいの中で、仲間とともに喜びや悲しみを分かち合ったことが自信となり、心も体もたくましく成長させたのでしょう。

 地元の子ども山留生に負けないように大きく成長させたいというのが当時の私の切実な思いでした。指導員の青木孝志さんに地元の子どもたちも留学センターに宿泊体験をさせてもらえないかと話したところ、「実は県教委の事業を入れて、地元の生徒も一週間の宿泊体験の受け入れを計画している。」というお話をいただき、小学校の先生方に是非参加を勧めるように指示したことを思い出します。

 宿泊体験の三、四日目頃だったでしょうか。小学校の昇降口の所で、六年生のY君が大きな体を折り曲げながら、宿泊体験に行っている妹のM子さんに必死の形相で話しかけている場面を目にしました。

「いいか、M子。宿泊体験の中で困ったことがあったら、どんなことでもいいから手紙に書いて、兄ちゃんの下駄箱に入れておけ。きっと何とかしてやるから。」

 その傍らをMさんと一緒に宿泊体験に行っている同年のK子さんが通りかかると、

「K子さん、ぼくの妹のこと頼みます。困っていたら助けてやってね。」

と一生懸命頼んでいるのです。私は妹思いのY君の行為に感心するとともにこの宿泊体験は家族や兄妹の絆を一層強めるものであると確信しました。

 たった一週間でも家族はこれだけ心配なのに、一年間、二年間とい

う長期の山村留学に送り出す家族の皆さんは断腸の思いをされたこ

とでしょう。

 「かわいい子には旅をさせろ」ということわざの通り、山村留学という

貴重な体験の中で、子どもたちは自分や自分の家族を改めて見直し、

たくましく成長させたに違いありません。山村留学は、大岡の子どもた

ちの「生きる力」を育むためにも大きな役割を担ってくれているのです。

 青木理事長さん、青木指導員さんはじめ関係の皆さん、受け入れ農

家の皆さん等のご努力に敬意を表するとともに、大岡ひじり学園の更

なる発展を心からお祈り申し上げます。

 「風雪に耐えて花咲く ダンコウバイ」

 

学園十周年によせて

私は、小学校で音楽を担当させていただいております関係で、小学生の時から山留に来られた皆さん全員と接する機会をもつことができました。私が大岡小学校に赴任致しましたのは、山村留学が始まる前年です。既に山村留学を導入していた八坂に、当時の議員さんやPTA役員の方、小中教職員で見学に行ったことを思い出します。以来、毎年多くの山留生と出会い、接して参りました。小学生という年齢で、遠く親元を離れて集団生活をするということは、親御さんにとっても、お子さんにとっても大変な覚悟だと思います。私達教職員もそれに応えようと日々努力して参りました。毎年新たな気持ちで、山留生をお迎えしたつもりですが、十分なことができましたかどうか。ただ、一人一人の成長に向き合わせていただき、私も皆さんのおかげでずいぶん成長させていただいたと思います。

最初は、お互いに手探りの状態でした。都会の学校では、運動着も半そで、半ズボン。寒くなっても冬用の運動着がない子どもさんもいて、担任から用意していただくようお願いしたこともありました。それから、あかぎれ。それまでは、洗濯などしたことがない子が、自分で洗い物をし、大岡の厳しい寒風にさらされて、ひびが切れてしまうのは当然です。「家に帰りたいよー。」と思った子も多いでしょう。

ところが驚くことに、多くの山留生が一年間ではなく、複数年、センターでの生活を続けたいと願うのです。それほど山留で得るもの、学ぶものがたくさんあるのですね。また、巣立って行った修園生が、行事がある度にセンターに帰って来ることも山留の特徴だと思います。同じ釜の飯を食べた仲間。実の親子以上に心のつながりが強いかな。そんなふうにも感じます。山留のプログラムに魅力があるのはもちろんですが、指導員さんの人間的な魅力、里親さんの温かな愛情の力が大きいと思います。

ひとり一研究は、とてもユニークな視点から独創的な方法で追究し、

発表を興味深く見せていただいています。また、何と言っても山留

の魅力は、太鼓です。エネルギッシュで、体中で表現するその演奏

を初めて聴いた時、鳥肌が立つくらい感動しました。毎年、メンバー

は変わりますが、その力強い太鼓の響きは変わることなく受け継が

れています。すごいことです。

そして山留のもう一つの魅力は、センターから見える雄大なアルプ

ス、美しい自然。もうひとつ、個人的にはこれも魅力のひとつであっ

たらうれしいなと思うことがあります。大岡小学校の子ども達や教

職員の存在です。毎年、4月の始業式には、「今年はどんな山留

生が入って来るかな?」と、心待ちにしている私達です。これから

先もずっと長く山村留学続き、地元の子ども達との交流が末永く

続くことを願います。

 

**地域の声**

十周年によせて・・元教育長

 本年、山村留学10周年を迎え記念誌の発刊にあたり誠におめでとうございます。

 山村留学を始めて今の思いは、教育環境の整備の充実に特設の御配意をいただいた中で児童生徒の減少に伴い過疎対策の一環で明るい展望と限りなき発展を願い都市との交流事業を深めるために地域の活性化事業を起こして、東に聖山麓、西に北アルプス連峰を望むすばらしい自然の中に心を向けた都会では経験のできない山村であればこそ、体験ができる事業でありました。

 ちょうど村がこの事業の計画をしているおりに、8年には文部省では山村留学の評価をめぐって中教審で心の教育を訴えた答申の中で年齢の異なる集団での長期の自然体験や地域の交流によって思いやりと自然と自主性と協調性など豊かに養われる子供を育てたいとの答申をいただきました。

 また学園が発足して2年目を迎えた時には文部省はじめ遠くは島根県から、県内からも自治体の皆様が学園の視察にこられて熱心に研修されていました。

 21世紀に育つ子供達との成長と豊かな情操教育が育まれるような第二の故郷にして留学して良かったなと思う人生の尊い経験でもあり、また幅広く人脈としてください。

 社会に出ても立派な体験を積んでおりますので人生をしっかり歩んでいただきたいと思います。

 また10月7日には10周年記念事業が実行委員会の主催による記念式典が挙行され、大勢の修園生が成長されて当時のおもかげを思い浮かべながら心も大きく変わり次第のなかではそのおりに生活環境の変化、家庭や学校での戸惑いなどの楽しかったこと、苦労話がありこの体験こそが人生の中で最大の経験になるかと思います。

 ひじり学園の地に記念碑にありますように大変とご指導いただきました青木理事長さんが『ひじりの空、松柏の志』にありますように子ども達成長されて大岡の地の人になれるよう願うものであります。

 このひじり学園が地域の皆さんはもとより育てる会、受け入れ農家の皆さんに感謝しつつ、市のご指導をいただきながら存続しますように願い更なる学園の発展をご祈念申し上げます。

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